宇宙‐そらもしくはうみ‐

悠久の時の流れと、果てしなき広がりを持つもの……

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人はみな死につつある。

 人は非常に緩慢に死につつあるのだ。
 だから、その死期を少し早めたからと言って、悪いことがあろうか。

上は、めちゃくちゃな話だが、確か授業か何かでも言っていた極論だったような気がする。
死をもたらした(死という効果を発生させた)のではなく、少し死期を早めただけなんだ、と。
この手の屁理屈が私は大好きで、おかしいと感じても、それなりに理屈が通っていれば反論はできない、そのもどかしさに、理屈を言った人を鬼畜っぽいと思う。

結構、掲示板には、この手の屁理屈が転がっていて、読んで楽しい。
理が通っている(=正しい)のに、首肯はしづらいそのもどかしさは、私の限界を教えてくれているようで、何とも耐えがたい。
けれども、何故かそれがいい。

加えて、当たり前のように信じていることも、何ら根拠のない、容易に否定できてしまうことであるかもしれない、と非常に不安定な気持ちになるのだ。

いい屁理屈は小説などに使いたくなる。
しかし、使いどころがまだ来ない。

果たして、死という効果を発生させたのか、それとも緩慢な死にとどめをさしたのか、それは殺人の罪に問われるかを考える上でどうでもいいことかもしれないが。
だって、どっちだってその時にその人の行為によって人が死んだのは同じなんだから。

他人の緩慢な死にいらいらして、とどめをさしただけだ、なんて鬼畜な殺人者は言うかもしれん。
それでも私は殺されるのはイヤだ。
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[ 2008年09月14日 08:16 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(0)
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